軽井沢に住むまえは、広尾の高層マンションに住んでいた。福島原発メルトダウンの今年の夏、計画停電の広尾は想像するだに恐ろしい。
先ずマンション玄関の開閉は不能になる。オートロックは全く使えない。マンションへの出入りはできないから家に帰れない。といって昵懇の女性でも近所にいればいいがそうもいかない。開けっ放しの玄関からホールをたどって、いざエレベーターは止まっている。ハァハァ言いながら、窓のない暗い階段を懐中電灯をたよりにひたすら登らなれればならない。出来た時この階段は棺桶がとおれますのでご自宅でなにかあった時にも対応出来ますと言うのが売りだった。階段も3階位まではいいが、10階以上になったらもうスーパー・バツゲームの世界、老人は途中で難破してしまう。
やっとたどり着いた我が家、とりあえず汗を流したくともお湯が出ない。マンションの給水装置に非常用電源の設置が義務ずけられていないので、当然のごとく水も出ないし、シャワーも使えない。ハメゴロシの南向きの窓からは、太陽がサンサンとはいってくる。ドンドン室内温度は上昇する。冷房は使えないし、扇風機も回らないので、上半身裸、パンツひとつの計画停電ルックで過ごすしかない。勿論テレビも冷蔵庫も湯沸かしもすべて使用不能。カップラーメンもお湯がなければただのゴミ。フロインドリーブのパンでも多量に買い込んでかじる。サイドメニューはすべてカンズメ。
マンションにはプールもあるが、停電になると浄化装置がきかず使用できなくなる。勿論ジムの機械類もみな動かない。ロビーも安全のため使用禁止。風通しを考えていない近代的設計の高層マンションは人間不在の拷問装置と化する。
マンションの自治会長さんが嘆いて曰く「計画停電中は、安全のため輪番制で館内の巡回をしましょう」と提案したところ、「そんなことしたくないからこのマンションを買ったのよ」と噛みつかれ、二の句が告げなかったという。津波は広尾、六本木に来なければわからない。
津波は広尾・六本木へ。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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