責任という言葉のない菅直人。

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 与野党対決の東京、北海道、三重の三都道府県知事選で全敗し、41都道県議選でも全面敗北の民主党、驚いたことに首相も幹事長もまつたく責任を感じていないようだ。かっての自民党でさえ、党内の派閥力学に「責任」の言葉がつきまとい、権力の交代が行われてきた。
 政党にとってなにより重いのは、民意であり、選挙だとおもうのだが、民主党にはかんじんのこの部分が欠落している。全学連いらいの学生運動にあった考え方で、党内の反対派を徹底的に抹殺し、自分達の延命を図る。同じ旗の下に集まった同志を突き落とし、野党にすり寄る党首では、あぶなくて行動をともにできない。すり寄られた相手にしても、その手には乗れません、あなたは嘘つきで責任をとらないから、いつ裏切られるかわかりません、となる。
 原発事故に対する対応のまずさを追求された菅総理は、「心配のあまりヘリで駆けつけたのでご理解ねがいたい」と国会でいっていたが、こんな人に国家国民の命を托すわけにはいかない。大所高所の眼がなく、我が子が心配だから飛行機でいったのよ、といっている隣のおばさんと全く変わらない。
 野党はこのさい与党内の反菅勢力、全野党を糾合して「内閣不信任」を通し、救国暫定内閣を組織して未曾有の国難にあたるべきではないだろうか。そのうえで復興計画、復興予算を策定し、実行に移したところで、衆議院の解散、総選挙を実行したらいいだろう。
 未熟者のあつまりである菅内閣には、一刻もはやく退陣をつきつけ、国難にあたるという重責はあなたには無理です、あなたの責任のないポスト至上主義がどれだけ一億国民にストレスをためさせてきたか、この際頭を冷やして、もてあそばれた原発被害者の苦しみを噛みしめなさいと、断罪すべきだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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