被災地の安置所には何千もの遺体がシートに包まれて寝かされたままになっている。身元の確認が取れた分から火葬に付す。柩がたりないので、とりあえず板を組み立てた箱のまま、布張りもせずに遺体を収める。地元の火葬場はほとんど地震と津波で壊滅状態。山を越えて内陸部の火葬場まで50キロ、100キロの山道を搬送する。そして順番を待つ。
映画のように、おくりびとが死化粧を施したり、身支度を整えたり、そんなことはとても出来ない。火葬場では菓子や果物の供物も飾れず、わずかに命を拾った家族だけが合掌し、旅立ちに立ち会う。送る花もない。
都会では葬祭殿、メモリアル・ホールなどやたらにふえているが、近頃は葬祭ディレクターなる新種の人間がいてすべてを取り仕切っている。祭壇はおもいきり華やかに季節はずれの白菊ばかりがデザインされていたり、白百合や蘭の花がお値段しだいで、取り込まれている。
花を献じた人々の名前は検番の出席表のごとく十束一からげで祭壇から離れたところに掲示されている。葬式に文句をつけるのははばかれるので誰も文句はいわないが、あの演出ほどいやなものはない。故人の遺影を囲んで、仕事の仲間、家族、友人たちの花がそれぞれに献じられてこその供花ではなかろうか。孫一同などとかかれた小さな花篭はいかにも生前の故人が偲ばれて微笑ましい。
そうした花の心を奪ったのが、近頃の葬祭システムである。いかにも安手のデザイナーが考えた大袈裟な祭壇、デザイン化された花の絨毯、葬祭ディレクターは、故人を送るということはどういうことなのか、東北の被災地ですこし勉強してきたらいい。心ない利益に気をとられた葬祭ほど空しいものはない。花を手向けたくとも花のない現実に遭遇したとき、きっと胸をつかれることがあるだろう。
花のない告別式。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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