若いときのご馳走といえば、ステーキというのが本命だった。年寄りが奮発して銀座の寿司やへ行こうといわれても嬉しくなかった。ましてや精進料理などといわれたら、罰ゲームのようなもの、なんとか断る理由をさがした。
ニューヨーク・ステーキというキヤッチに心躍った。まだアメリカ人の味覚の浅さも知らず、本格的なフレンチの店もなかった時代、六本木のチャコは眼の前で大きなステーキを焼いてくれる素敵な店だった。ニューヨーク・ステーキの謳い文句に踊らされ、アメリカ人はきっと毎日こういうステーキを食べているんだと想像していた。
乃木坂にステーキハウス・ハマができた。前菜のアワビのステーキとメインは200gのサーロイン、そしてガーリック・ライス、これが定番…50時間のドラマ収録が終わったとき、なによりの疲労回復剤だった。亡くなったオーナーの笑顔は六本木界隈いちばんのトビキリだった。
最近では懐石やら寿司、そばなどが嬉しく、食も老けたものだとちょっぴり反省している。
ふと見た週刊誌にとんでもないことが書いてあった。整形された霜降り肉が、年間4000万食出荷されている。成型肉は細かい肉をのりで固めて形も厚さも一律に整え、但し書きには「お肉の固い部分を取り除き、柔かい部分を使用しています。」もうひとつのインジェクション加工肉というのは、無数の注射針を肉に突き刺しピックル液という乳化剤やら廃牛の脂身を注入して、見事な霜降り肉をつくる技術だという。やわらか加工、ジューシー加工しいうのがそれだとある。
考えてみれば整形美人に惹かれるのも、霜降り肉に惹かれるのもあまり変わりはないのだが、食する肉までが化粧済みというのはちょっぴり寂しくなる。そのうちこの肉は資生堂です、とかルイ・ビィトンの肉にならないことを祈るばかり。
お化粧された霜降り肉
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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