東電・東大・霞が関

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 ニューヨークからの電話でたたき起こされた。「とうとうアメリカ西海岸まで放射能汚染がきた。日本に安全なところはないから、しばらくニューヨークにきたら…。」という心配の電話だった。いや軽井沢は大丈夫だから、日本政府は人体に影響ないっていっているよ。と答えたが、あちらでの報道と日本の報道ではだいぶ温度差があるようだ。
 が一連の原発報道をみていると、だいぶ透けて見えてきた事実がある。この国のエネルギー政策、原子力大綱というのには、衆参の議員・政権与党も実はタッチ出来ないブラックボックスになっている。形式的には内閣府原子力委員会というものが存在し、そのしたに原子力長期計画策定会議があり、そこですべての原子力利用計画がつくられる。ということになっているのだが。
 東大名誉教授近藤駿介原子力委員長という肩書を頂点に、経済産業省、文科省、東電など原子力利用業者が集まり、日本の原発システムをつくっている。ここには国会議員はひとりもいない。ここでは東大工学部電子工学科原子力専攻を経てきた役人のもとに、原子炉メーカー、原発会社の魔のトライアングルができあがっているといわれている。残念ながら国民の代表はひとりもいない。
 五年前衆議院予算委員会で福島原発の冷却水取り入れについて疑問を呈した吉井英勝議員に対して、ご心配に及ばず原子炉冷却の対策は充分と強弁した原子力安全保安院長、今回の原発事故を人災だと主張する人々は原発官僚にとっては、なんとも不都合な人たちなのだ。役人と東電、東大のもたれあいが今度の事故を起こしたと、もの言う知事として名をはせた前福島県知事佐藤栄佐久氏は告発している。東電はあの原発を作る時「いかなる事態がおきても、事故はぜったい起こりません」というポスターを全県民に配った。霞が関の独裁を排さない限り、この国の原子力に明日はない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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