計画という名の想定外。

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 計画倒産、計画犯罪、計画動員、計画経済など、計画と名がついて碌なものはない。戦後は一姫二太郎三サンシーの計画出産というのがあった。産児制限のための薬拡販と用具宣伝が目的。おかげで今は子供がいないと大騒ぎしている。無い袖から子供手当をだすからなんとか子供を作ってくれという体たらくだ。
 大震災とともに浮上してきたのが、「計画停電」。いかにも考えて考え抜いたアイディアですといわんばかりの東京電力と蓮舫節電啓発大臣の愚かな強制停電方式。理解しがたい根拠でいくつものブロックにわけ、細かいスケジュールを発表し、今日は停電があるのか無いのか、判らない不思議なシステムである。通勤電車も、災害の避難所も、人工呼吸、人工透析、緊急手術の病院も容赦なく停電するという悪代官顔負けの計画。大臣はちっとも汚れていない仕立て下ろしの災害ファッションに身を包んで、記者会見という名の脅迫に及ぶ。
 電気釜、テレビ、冷蔵庫、湯沸器、冷房、暖房、パソコン…電気は原発でつくり、電気消費をどんどん進めてきたのは、どこのどいつだ。あの時太陽発電、風力発電、海流発電に切り替えておけば、福島原発の放射能を浴びることなく日本人は無事に暮らせた。目先の経済効率に振り回された浅知恵のおかげで、この大災害、人災にあっている。東電の原発担当藤本副社長は、よほど夜の銀座で鳴らしていたのか、二度と銀座に足を踏み入れるな、とネット上でオミズ達から総スカンを食っている。
 すべては想定外でかたずけようとする枝野官房長官も判らない。イラ菅に敬語を使って想定外を連発する。テレビに出てわけしりに解説する放射能学者も、想定外と判りません。二度と原発の設計などには加担することのないよう、想定外の学者は全員退場せよ、と云いたい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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