信仰の有無を問わず二年参りとか初詣に足を運ぶのは普通の日本人としてあたりまえのことだろう。神社だろうが仏閣だろうがべつにこだわらない。一年の区切りとして年越し蕎麦をたべ、寺社にお参りする。信仰を超えた習俗になっている。
本郷での幼少期は町内の髪結いのお静(せい)さんに連れられて、湯島天神や浅草観音に詣でた。仲見世でアツアツの人形焼きを求め、ひとつだけそっと取り出して食べながら歩いた。六本木では明治神宮の長い参道を砂埃をかぶりながらの初詣だった。女の人の結い上げた振り袖姿が新鮮でドキドキしたものだ。破魔矢を抱いた振り袖姿と共に帰りには寄席で初笑い、想い出深い下町の青春だった。
軽井沢での二年参りは凍てつく寒さのなかを碓氷峠の熊野皇太社へ、信州の神様と上州の神様が並んでいるので間違えないように心掛ける。ソソッカシイ人は上州の神様に賽銭を入れて帰っていく。上州の神様は熊野神社と呼びお札も違うのだが、同じ場所に同居しているのでややこしい。その後急いで峠を下り、旧道のお諏訪様にいく。手を合わせると丁寧にひとりひとりお祓いをしてくれ、新しいお札を下さる。無料にびっくりしながらも境内で甘酒のふるまいを頂いて帰る。
初詣は今年、佐久岩村田にある鼻顔(はなずら)稲荷へ。素朴な懸崖作りの社殿に囲まれたお稲荷さんだが、湯川の崖に鎮座するたたずまいが味わい深い。短歌、俳句、柔道、相撲などの大きな扁額がいくつも奉納されていて往時の賑わいを偲ばせる。願い事を欲張り、その仕上げは近くの成田山にある「ぴんころ地蔵」だ。ピンピンと元気に生きてコロリとあの世に行けますようにと、新しいお地蔵さんだが、高齢社会を迎えて大当たり参拝客は引きも切らない。なかには車椅子で拝んでいる老人もいるが、ピンピンからコロリの段取りにはもう手遅れなのだ。ぴんころ地蔵もさぞやご迷惑なことだろう。
初詣あれこれ。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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