久しぶりにNHK紅白歌合戦をみた。「トイレの神様」という前評判はあちこちで聞いていたが、見終わってやっぱり「トイレの神様」だった。
ヒップホップだのポリリズムだのと走っているプロのミュージシャンだったら、決して創らないであろうヒューマン・フォークの味が心地よく胸に響いて、孫にトイレのお掃除を見事にやらせたおばあちゃんの知恵に思わず涙してしまった。べっぴんさんになりたい一心でトイレ掃除に励む私が増殖してくれたらどんなに素敵なことだろう。民話そのものの植村花菜の言葉、詩の力がそのまま唄となって聞く人のこころに滲みこんできた。
小林幸子の「母ちゃんのひとり言」も同じ土壌に造られた歌だが、「母ちゃんのひとり言」は大掛かりな鶴の飛翔に食われ、道具立てへの興味が母ちゃんの心を殺してしまった。サンタもこない冬の山形で夜なべしながら育ててくれた母ちゃんのひとり言はもっと素朴な背景でききたかった。NHKはスペクタクル化するナンバーを間違えたのだ。なんでもかんでもショーアップすればいいというものではない。
そのいい例がドリカムの「生きてゆくのです」右翼軍国主義そのもののような危険な作り方。吹奏楽メンバーを軍楽隊のコスプレ化し、周りの男を右翼の壮士に仕立て英語看板のまえで派手に歌う。本人はカッコイイのつもりだろうが、ヒットラー・ユーゲントでも日本陸軍でもいちばん多く用いた先軍主義そのものの舞台。若者たちの歴史知らず、勉強しない今時の歌い手の中味がリアルに見えた。ひさしぶりの桑田圭祐も、扇子を手に紅白の幔幕を落として紋付袴で日本人を主張して歌っていたが何かおかしい。日本語をくずして、潰して、外人の日本語を気取って歌う彼の本質が「日本語の破壊者」だから、日本を意識すればするほど収拾がつかなくなる。
紅白歌合戦に想う。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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