過剰からの脱出。

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 カーテンからハンカチ、枕カバー、冷蔵庫の扉にまで「蝶々」の柄が付いていた時代があった。蝶の柄がそんなに素晴らしいとも思えないのだが、スカーフから始まったその蝶々は、ついにオリンピック選手の水着にまでついていた。印象はとにかく過剰で野暮と云う外ない。
 ファッションに於いて過剰はエレガントでない。名古屋系のスポーツ、といえばいま花形のフィギィアー・スケートだが、女子の場合名古屋系が圧倒的に強く、安藤美姫を先頭に浅田真央、村上佳菜子と続く。安藤は近頃だいぶ落ち着いたが、ひところベガスのショウガールかと見間違えるほど過剰なファッションと濃すぎるメークアップでスケート娼婦そのものだった。浅田真央もときにそれはないだろうというファツションで登場することがある。村上佳奈子にいたってはモード学園卒業制作のような稚拙なコラージュの服に、無理やりの作り笑顔で滑る姿が痛々しい。コーチの趣味なのか本人の好みか判らないが、フィギィアーというスポーツが見せるスポーツである以上、欧米の選手に比べ圧倒的にファッションで負けている。
 だいたい名古屋という土地柄のファッションが重い。ヘアでも名古屋巻きといえば、ひと時代昔のタテロールだし、花いっぱいのブラや、ひらひらフリルのパンティがよく売れるという恐ろしい土地柄のようだ。度を超えて多い装飾は自意識過剰からくるといわれている。他人が自分をどうみているか、気にしすぎる状態がアスリートの精神を不安定にし、3回転もルッツも飛べずに自滅してしまう。「過剰恋愛のススメ」などという作品もあるが、とにかく過剰、自信過剰、装飾過剰はアスリートのみならず人間の魅力を半減する。お花のプリントいっぱいのレオナルドのドレスを着込んだPTAの会長さんやソロプチの伯母さんを見れば、過剰の罪、過剰の悲劇が理解できるだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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