祇園町に学生時代から通っている寿司やがある。通うというよりは思い出したように訪れる寿司やだ。「呑太呂」という。基本は江戸前寿司なのだが、昔から進取の気性にとみ、まぐろを始めとする魚介の種に交じって、「かのこ」と呼ぶ握りがあった。江戸でかのこといえば、小豆の和菓子だからはじめは想像できなかつた。吟味された最上級の霜降り肉に大根おろしが添えられてシャリに乗って登場する。聞けば霜降り肉の部位を「かのこ」というそうだ。この「かのこ」がめっぽう美味い。大間のまぐろなど足元に及ばない。「かのこ」を食べるといっきに時計がもどる。暮れの京都に鈴鹿峠を越えて東海道をひた走った50年前が生き生きと戻ってくる。あの頃の舞妓さん、御茶屋の女将になっている人、バーのママの人、井上流のお世話係、いまでも元気にお座敷に出ている人、亡くなってしまった艶な人、走馬灯のように「かのこ」の変わらぬ美味しさとともに甦る。「穴子」も美味い。加減のいい蒸しにちょつと焙ってでてくる穴子は、口に溶けて東の邦では味わえない甘さと柔らかさが上品な「穴子」になっている。
真夜中、小腹が空いたとき食べたくなるのは「蘭」さんの「漬物すし」、きゅうり、なす、赤カブ、大根、たくわん、かいわれ、千枚漬け、などあらかたの漬物がにぎりででてくる。口もさっぱりし、胸のつかえもなくなる。ロスアンゼルス・リトル東京のカリフォルニアロールなどはやつぱり寿司には入らない。パリにも近頃は「鮨新幹線」「寿司富士山」などとんでもない看板を見かけるが、中国人ベトナム人などがオーナーの寿司らしきもののレストランだそうだ。
この年師走の京都では「助六寿司」が売れない。稲荷と巻きずしを詰め合わせた助六は、揚げと巻きとの花魁揚巻太夫に因んだシャレ寿司だが、例の事件で海老さまの助六が顔見世に来ない。それなら寿司も食うまいと町衆のシャレ心で、助六寿司やが可哀そうだ。
「かのこ」という名の握り。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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