ニューヨーク・ロックフェラーセンター、パリ・シャンゼリゼー大通り、そして原宿表参道とこれが世界の三大イルミネーションと思っていたのが、LEDの登場以来、まったく世界の電飾事情は変わってしまつた。東京でも六本木ケヤキ坂、新橋ビル街、皇居外苑お堀など処々方々でクリスマス電飾がされるようになり、ここ軽井沢でも矢け崎公園、恵みシャレー、ブレストン・コートの庭とLED電飾の花盛りだ。軽井沢は信者はいなくてもキリスト教の町がウリなので、まぁ貧者の一灯でささやかな電飾がそこここにある。
感心したのは、京都嵐山の花灯路。街中の十字架流行りをよそに、嵯峨野の自然を生かした自然賛歌に徹している。三条通りから嵐山に近ずくと、山並から山裾が不思議のパステルカラーに彩られ、その前の大堰川に反射して幻想的な世界を作り出している。そして目の前の渡月橋のライトアツプが素晴らしい、橋の趣ある造形に京1000年の足跡がとじこめられ、典雅で美しくダイナミックな夜の景観を造る。向かいの中の島公園では大きな行灯の競演、お客さんの笑顔に応じて灯りの輝度が変化するアバンギャルドな光のオブジェがあるが、極め付けは竹林の花灯路。天龍寺の奥を左に入って、竹林の小路に一歩足を踏み入れると、月明かりを遮った竹の林が幾重かの照明に浮かぶ。パステルなブルー、パステルな紫、淡いアクセントのアンバーなどの光のなかに、野宮竹のたおやかさがゆれる悲しいまでの夢の風景が広がる。かぐや姫の昔話がそこに生きている。竹林の小路には2500個の露地行灯が訪れた人々の足元をてらす。野宮の苔のじゅうたんもやわらかな光に包まれ絵巻物をみるようで、その花灯路が嵯峨野を巡って落柿舎まで続く。手をつないでゆっくり歩く恋人たちのなんと幸せそうな顔だったことか。
神戸ルミナリエ、丸の内のキリスト教の電飾に竿さすよりも何十倍もの日本の自然の美しさがあり幻想美そのもの、これぞこの国のイルミネーションと認識した。日本を忘れた日本人が多すぎる。
嵯峨野竹林の花灯路。
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す