ワイドショウの伝統芸能知らず。

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 たまたまテレビのワイドショウを見て驚いた。司会者が訳知りに玉三郎は日本舞踊をやっているから、こういう時にいいんだ、と解説している。海老蔵休演に伴う一月セゾン公演のことだが、その解説はないだろう。歌舞伎役者というのは、例外なく六才六カ月から日本舞踊は学ぶし、合わせて能や狂言の勉強もする。そうした基礎がなければ、歌舞伎はできない。玉三郎の代替公演は、急場のいま一ヶ月間の長期公演で、観客を集め得る人気者でスケジュール調整できたのは玉三郎だけという現実があったからだ。
 かって和泉流家元和泉元弥という騒動があった。元弥母というとんでもない先代家元夫人がいて、娘に名跡を継がせたり、元弥に継がせた家元名を商標登録してみたり、伝統ぶち壊し人そのものだった。この時テレビの司会者たちは狂言の本来務めるポジションも知らず、女がでられないのはおかしい、などとたわ言をいっていた。演能のあいだの笑劇としての狂言、その表現様式と歴史の必然として、男性のみに伝承されてきた芸能であるという事実も学んでいない。そのうえ能楽堂の正式の演能に出られない出してもらえない、いわば能の世界から破門された能役者であるということも認識せず、チャーターした飛行機で飛びまわっているとか、人気タレント扱いで伝統芸能を知る人たちはみな眉をひそめていた。最後は格闘技までして、いまではすっかり成りをひそめている。
 獅童の扱いにしても、テレビが取り上げると歌舞伎の基本をしらないため、とかくおかしい。猿之助のスーパー歌舞伎もへんだった。スーパー歌舞伎という名の芝居であって、歌舞伎ではないという基本を押さえていない。宙乗りに食付いたり、早換えが嬉しかったりするのは結構だが、なかに一人ぐらい演技評のできる司会者がいてもいいだろう。うわべだけの情報、噂、データーで伝統芸能を語らないで欲しい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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