男はあまり飴をなめることはない。飴をいつもポケットに入れている男は、すこし警戒したほうがいい。風邪をひいた時、咳がとまらない時、突如として飴の存在をおもいだす。人前で咳こんだときなど相手に悟られないように飴を口にする。「龍角散のど飴」などは、とても効きそうな気分になる。「県産りんご果汁100パーセント使用りんごのど飴」などという大そうな飴もある。
今年から軽井沢ラブソング・アウォード第一次審査の構成が変わった。若者男子(といっても中年だが)と女子を中心に審査することになった。膨大な応募曲を聴く作業は結構疲れる。疲れたなと感じた頃どこからか飴が回ってくる。これは女子を審査スタッフに加えたオカゲである。飴にも「正しい舐め方」があるのかもしれないが、取りあえず口に放り込んで忘れる。噛まないで舐める、だから舐めものと理解している。舐め始めた時いったん味を感じるのだが、すぐ忘れてしまう。忘れることが出来ず、いつまでも口に主張するのは飴がおおきすぎるからだ。もどかしく口のなかをごろごろする。
その点舐めやすく大きさを主張しないのは、「京飴」の薄い方形のもの、「吟醸酒の飴」ふわりと酒粕の香ばしさが広がる。お正月の飴には「むらさき抄」、招福金箔を散らし紫蘇の風味の雅な飴である。夏の暑さには、「京ひんやり飴」というのがある。冗談いうな飴が涼しい訳がない。と言われる方は飴と仲の悪い人だ。飴を科学で考えるのは文学の敵かもしれない。一月は「お酒飴」、二月は「紅梅あめ」、三月「桃の香飴」、四月「さくら飴」、五月「新緑茶飴」、六月「青うめ飴」、七月「夏柑飴」、八月「すいか飴」、九月「青りんご飴」、十月「栗あめ」、十一月「葡萄酒飴」、十二月「柚子あめ」…と四季をめぐってそれぞれの飴がある。移り変わる京の風情を小さな飴にとじこめて、はんなりと甘さを散らす。忘れていた恋を思い出す。
飴と初恋。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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