B-1グランプリから四万十川へ。

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 「富士宮やきそば」を食べずして、B級グルメを語るな、と誰かに脅かされ、今年のグルメ・ツアーは富士宮行きと決まった。しかしやきそばだけをたべて帰ってくるのは、いまいち淋しい、という訳で、帰途諏訪を回って「小林のうなぎ」を楽しんで軽井沢へと、たどることになった。
 朝起きてみたら一面の銀世界、タイヤは昨日履き替えているので安心だが、八ヶ岳のあたりは充分凍っているだろうし、予約時間に間に合わないかもという不安を抱えて出発した。東京にいれば、八重洲口へいきさえすれば「やきそばイクスプレス」が待っているのだが、軽井沢ではそうもいかない。仲間の内藤さんの腕を信じ、デスクの高橋さんと共に、清里、須玉、甲府南から精進湖の脇を抜けて富士宮を目指した。前後を走るクルマがはじめ長野ナンバーやがて山梨ナンバーとなり、富士山ナンバーに沼津ナンバーが混じった頃、名店うるおい亭についた。限定20食「特製うるおいやきそば」はさすがの味、ラードのさつぱり感、富士宮高原キャベツのシャリ感、肉かすの深み、仕上げのイワシ粉の風味、どれもが美味さを助けているのだが、むし麺をいためながら水をたっぷりかけ「これは富士山の湧き水だから」と店のオネェサンは極め付けの自慢をした。さすがB-1グランプリ殿堂入りの自信、信州のお祭り焼そばはかなわない。天下分け麺の戦い、三者麺談、やぶさ麺まつりと絶えず仕掛けて全国から焼そばファンを絶え間なく集めているこの町の努力には頭が下がる。
 帰途諏訪赤沼の小林に寄った。四万十のうなぎの白焼、蒲焼、うな重を食べたのだが、もう一匹四万十があるというので、ぜんぶ白焼にしてもらい、三人三様に楽しんだ。後できいたらもう禁猟なので、今シーズンはこれが最後の四万十鰻です、とのこと、来年の春の終わりまで四万十の鰻にはお目にかかれない。…至福のグルメ旅だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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