漢字で表わす妻のイメージ。

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 年末が近ずくときまって京都清水寺の坊さんが巨大な一字書きをする。振り返って今年はどんな歳だったのかを漢字一文字で墨根鮮やかに書き上げる。08年は「変」オバマ大統領を始め色々とチョンジした、09年は「新」新型インフルエンザや高速水着の新記録など、それもテレビカメラの前で書くあたりが、なかなかの曲者に違いない。
 そこでテレビのバラェティ番組が、「漢字一字で表わす妻のイメージ」というのをやっていた。普段声を大にして言えない哀れな旦那衆のつぶやきにも似て、ひそかに楽しかった。
 まず20代の時の妻…「美」が第一位「愛」が第二位「優」が第三位、美しい若さとともに優しかった時代への郷愁のオマージュ。そして30代の妻となると…突然に「鬼」が第一位、「美」「愛」と続くが「怒」「騒」が登場する。40代ともなると…第一位はやっぱり「鬼」、そして「太」「強」のあとに「恐」がくる。食欲第一のむくいからくる魔の三段腹、開き直った強さ、周囲を蹴散らす自己愛ほど恐いものはない。そして50代の妻…第一位は相変わらず「鬼」、ついで「愛」「太」「和」とくる。30代40代50代と共通第一位がすべて「鬼」であることがすごい。世の夫たちが、つねに妻の鬼に耐えて生きているということだろう。妻側にしてみれば、やむ負えず鬼になっている、誰が私を鬼にしたのよ、と言いたいところだろうが、多分人間の歴史1000年をひもとけば、そんなことは当たり前。歴史を学ばない知性の少ない女が多いのが大和民族ということかもしれない。花の都パリでは話題にもならない。大人の国だからだ。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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