このところ文房具にこっている。だから銀座の伊東屋は僕にとってワンダーランドなのだ。万年筆というとそれだけで古い人間のように扱われてしまう昨今だが、学生時代いつかはあの黒くて太いモンブランのマイスターシュティック149で原稿が書けるようになりたいと願っていた。が10万円に近いあの万年筆を求めることなど夢のまた夢で、ようやく149を手に入れたのは、40歳に手がとどく頃だった。以来ローヤルブルーのインクと共にデスクのそばには必ずモンブランがあった。インクの向こうには同じ万年筆を使う安倍公房がいたし、遠藤周作もいたし、有吉佐和子もいた。それが加齢とともに149の重さから、ステットラーの鉛筆4Bへと移った。149とステットラーには随分世話になり、稼がせて貰った。
時は移り、ワープロからパソコンの時代になった。なるほどパソコンほど便利なものはないが、その便利さと引き換えに僕らはなにか大切なものを失ってしまったような気がする。作家のオリジナル原稿も無くなってしまったし、行間や句読点に託した人間の思いや思想もひどく類型的なものになってしまった。とあるグラフックデザイナーが、受け取った作家の原稿を取扱説明書のごとくにパソコンに落とし込み、改行も句読点もまったく機械的に処理して作家を嘆かせた現実に触れ、世も末と悲しくなった。サルコジ大統領が、フランスの文化のために断固ロマ(ジプシー)を生国に強制送還させると主張するのもむべなるかなである。アメリカのグローバル戦略は確実に民族の文化度を低下させている。
自分で色や太さを変えてマイペンを作れるスタイルフィットのボールペンなどはなるほど楽しくカスタムなのだが、ここではボールペンを組み立てるというところで作業は完結し、筆記具本来の目的がなくなっている。レポートを書く、日記をかく、文章を書くというかんじんの筆記作業は欠落し、楽しくペンを造るという事で満足してしまう。この思考停止状態は恐ろしいことだ。
黒くて太い万年筆で。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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