幸か不幸か、都会に行けば「耳かき店」という桃源郷がある、ということを知らなかった。それが裁判員裁判という奇妙な裁判のおかげで、耳かき店の従業員に惚れぬいた男の母娘殺人事件とともに都会のニュービジネス「耳かき店」に関心を抱いてしまった。
幼い日縁先の陽だまりで、母がしてくれた耳そうじは、面倒くさくて逃げ回ったものだ。初恋の彼女がしてくれた耳そうじは、膝枕の柔らかな感触にドキドキしながら、微妙にたちこめる彼女の香りに酔ってしばしの微睡みに落ちた。
当世耳かき店のキャッチ…耳かきだけでなく、耳のなかからアナタの心と身体を癒す、懐かしさと新しさを融合した新しいかたちのリラクゼーション…いまでは妻も彼女も耳そうじをしてくれなくなったのだろう。コンビニで買ってきた綿棒付の耳かきで、見えない耳の奥底をおそるおそるヒトリ耳掃除をする寂しさ。たかが耳かき、されど耳かき、耳かき店には期待を超えた感動が待っているという。
耳かきをしてくれる女性たちは通称「小町」と呼ばれ登録される。写真ではみなキュートな若い女性たちだ。テクニシャンから膝枕美人まで。もえぎ/るみ/やよい/かすみ/くるみ/ここあ/もな/みるく/あんず/みすず/えれな/むぎ/まい/かぐや…御気入りの小町が純和風の綺麗なお部屋で膝枕で心安らぐお耳の掃除、そのまま小町のお膝でお昼寝もどうぞ、と書いてある。仕事もなくオタクな若者たちにとって、冷え切った心にせめてもの暖かさをそそいでくれる「耳かき店」は、憧れのディズニーランドだったかもしれない。パソコンやゲームにない女性の優しさを感じたに違いない。人情紙風船のIT社会が作り出した犯罪、それが「耳かき店母娘殺人事件」なのだ。
たかが耳かき、されど耳かき。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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