服を見ず、足を見よ。

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 畳の部屋がなくなって、子供部屋もおおむねフローリングになり、子供たちのプロポーションが飛躍的によくなった。年寄りと同居の嫁はどうしても下半身肥大の体型から抜け出せない。オコタのついた日本間暮らしを強制されるからだ。
 さて長く続いている不況の影響からファッションも宝石から足に移ってきた。近頃の若者の足が、大和民族からアングロサクソンに移り、美人ならぬ美足などというキャッチが大威張りで通用するようになったからでもある。流行は服を見ず、足を見よということらしい。
 ここ二、三年ブームだったカラータイツよ、さようなら。無彩色のレッグ・ファッションよ、今日は。ところがこのレッグファツションというのがややこしい。履いてて気持ちのいいサイハイ・ソックス、リボン付き透かしボーダーレギンス、前は柄・後は無地のブラックレギンス、ボトムと上手に組み合わせて14分丈レギンス、ワンピースやミニスカートと相性の良いトレンカ、ジャガード柄が暖かいノルディック・タイツ、80年代フィットネス・アイテムのレッグ・ウォーマー、高級感を求めるならジュン・アシダのボンブー等々、暖房対策なのか、お洒落対策なのか、はたまた官能対策なのか伯父さんたちには理解不能なのだ。 
 そもそもファッション業界なるものが、不可解であれば不可解であるほど良い、とする傾向がある。ユーザーのくいつきを良くするためには、すぐ判るネーミングでは駄目。判らないことは新鮮だからすこし勉強してもらう位がちょうどいい。それがユーザーの優越感を刺激して火がつくのだという信仰がある。それがもっとも顕著にでているのが化粧品業界だが、使っている人たちはあまり理解せずネーミングを含めて商品の記号として認識して買い求める伯母さん達は結構いると言われている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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