20数年前、軽井沢に移り住んで一番初めに悩んだのは、「さて美容室を何処にしようか」。東京ではいくつかのヘア・デザイン団体のショウ演出にかかわっていたので、腕のあるデザイナーの好意にあまえ、美容室の心配はまったくなかった。
まず僕の頭はカタチがよくない。後頭部が若干欠落している。その上ツムジが二つあって毛流れが不自然である。という訳でなかなか上手くまとまらない。つまり技術者泣かせのアタマなのだ。ふつうカットさえ正しければ、あとは手櫛でかきあげてまとまるものが、全然駄目なのだ。そんな悪条件だが、それを克服してくれるサロンでなければ役立たずなので、とにかくひと通り世話になればどこか相性のいいところと出会うだろう、と軽い気持ちでサロン通いがはじまった。
何軒めかのサロンで相性の良さが見つかった。ところがその店では従業員の手が荒れるという理由で、オートシャンプーを導入した。良くできた機械には違いないが、その無機質な水流にどうしても食器洗浄機のなかのドンブリのような気分に襲われ、シャンプーされる幸せ感が全くない。その上ある時からサロンの中で犬を飼い始めた。犬好きのお客には楽しいひとときかもしれないが、犬嫌いには地獄の一丁目、犬の匂いで戻しそうになる。そんなこんなで疎遠になってしまった。
そして今世話になっているサロンは東北出身のオーナーが勉強熱心で、暖かい。乗せられて初カラーなど体験しているがコミュニケーション力でまんまとはまった。それに若いアシスタントのヘッド・マッサージが抜群で、専門のエステより数倍素晴らしい。ただ心配なのは、信号の数より多い美容室といわれる現状で、いいと思った若いスタッフが、次々と何処かへ行ってしまうことだ。昔から美容は人手産業と言われ、育てるのに少なくとも5年はかかる技術者は店にとって宝だが、客にとってもお宝なので、銀座のオミズのようにここと思えば又あちらだけはご勘弁願いたい。
美容室のあした。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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