秋・祇園の温習会

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 華やいだ春の都をどりに対して、祇園の秋の温習会は芸事と正面から向かい合った舞台である。女紅場における日頃の修練の結果をご贔屓すじにしっかりとみていただくという目的のために、幼い舞妓さんからべてらんの芸妓さんに至るまで、しっかりと舞い納める。
 日々6番の狂言が組まれ、一番目と六番目は若い舞妓連中による総踊り風なのだが、今年は「三社」「さのや」「石橋」「東山名所」「さのや」が取り上げられた。いつもは若い可愛いですましてしまうところだが、拍手を送ったのは「石橋」、井上流ならではの大胆なジャンプなどもあり、いかにも中性的な獅子の舞にいどむいたいけな舞妓たちが頼もしく見えた。その上の御姐さんになると21歳と19歳の「祇王妓女」さらに21歳と19歳の道行心中の「鳥辺山」と早熟の演目がくまれ、さすが花街の名花とばかり抑制された色気をみごとに舞っていた。抑えは常磐津「千代の友鶴」長唄「影法師」清本「豊春名寄寿」いずれも元締め格の御姐さん方が、あるいは格調たかく、あるいはしっとりとしたお色気で、あるいは粋なあじわいで京舞の醍醐味を舞ってみせてくれた。
 この6日間の温習会が終わると、ご祝儀返しのちいさなお菓子の楽しみをかかえて軽井沢に帰ってくる。鍵善の京かのこ、源水のときわ木、亀屋良永の御池煎べい、御倉屋の旅奴、末富の白酔墨客、聖護院の生八つ橋…ちょつとしたお茶の相手に微妙な和スイーツがつぎつぎと登場する。大きなお土産菓子ではない、ちいさなお返しサイズがとても嬉しい。大人になると、というより老境にさしかかるとなにをいただくにも量を必要としなくなる。上質の甘さが少しあれば、十二分に満足するし、そのハンナリとした甘さのなかに再び祇園の座敷が思い出される。和菓子の文化はやはり京の都にしかない。包み紙や箱のデザインにも近頃のデザインは全くなく、上質な菓子の包装はすべて伝統的な意味のあるものばかり、たまに近頃デザインに遭遇したらそれは不味い菓子と断じていい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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