「遂にV15達成! 煌めきはいよいよまばゆく…木村拓哉という星の奇跡」人気女性誌anan恒例の名物企画「好きな男・嫌いな男ランキング」が08年を最後に姿を消している。表紙はキムタク、グラビアもキムタク、キムタクによるキムタクのためのキムタク企画といった時代にやうやく終着点がみえてきた。「なにをやってもキムタクというキャラクターしかできない。ライブのトークもまつたく中身がない」「しゃべった後、面白いこといったでしょみたいな顔をするのが嫌」「なんか若作りしているのが目にみえて結構イタイ」御年37歳、アイドルというにはトウがたちすぎたのだろう。
一時は次々と上陸した韓流ドラマとともに韓流スターにライトが当たり、この国は韓国かと錯覚させるばかりの成田出迎い騒動がつづいた。韓国のスターはこの国のアイドルのようにへんにスレタところがなく、兵役から帰った直截な若者の存在に胸をつかれたのかもしれない。
そこに登場したのが福山雅治、勿論大河ドラマという官製長編時代劇のお蔭さまも十二分にあるのだが、「二枚目なのにHネタ大好きだったり、かっこつけたりしないし、飾らない感じが好き」「下ネタも彼がいうと笑えるから好き」「ちょつとエッチなとこ可愛い。真剣も似合うし、おちゃらけも似合う」多くの女性ファンが、彼の下ネタを支持している。女性アイドルはこれでもかこれでもかとお尻をだしたり胸を出したりして挑発しているのだから、たまに男性が肉体をさらすのもオアイコだろう。最近では「竜馬伝」でみせた筋骨隆々の裸が好評でひそかに鍛えているのだと知れ人気倍増だという。いずれにしてもsmapが凋落し、嵐が台頭、第三勢力に次々と逸材が登場するのは、大変に望ましいことで、プロデューサーも編集者もすこし視野が広がってご同慶のいたりである。
滑り落ちたキムタク
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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