ひさしぶりにというより半世紀ぶりに小田急に乗り、向ヶ丘遊園にむかった。岡本太郎美術館で開かれた「池田龍雄アバンギャルドの軌跡」にお招きを受けたからだ。まず駅前で驚いた。そこにあるはずの生田緑地は見えず、眼に入ってきたのはTSUTAYA、フライドチキン、ミスド、マルシェに不動産紹介…日本全国どこにでもある駅前風景だった。
戦後まもなく小田急が向ヶ丘遊園に動物園を作った。その宣伝にアイディアをといわれ、提案したのが、動物園のなかの人間動物園、サル園の横に人間展示のための檻をしつらえた。看板には「人類・霊長類・人科・ホモサピエンス」等と尤もらしく書き「恐れ入りますが餌を上げないでください」と記した。さて檻に入れる人間が問題だった。隅っこにはブツブツいいながら一日中本をよんでいる人間がいる。イーゼルを立てて絵を描いている男もいた。どうしたことかタイツ姿で柵につかまってバレー・レッスンの女性もちろんグラマー、一心不乱に化粧にいそしむ醜い女、檻の中から見に来た客に嬉しそうにカメラをむける変人、パントマイムの稽古に励む研究生、一升瓶を離さないノンベェ、真ん中では何時も4人組が麻雀をやっていた。変な檻だつたが、マスコミに話題を提供し一か月に及ぶロングランは成功した。あのとんでもない企画を受け入れた当時の小田急宣伝部は皮肉に充ちたアバンギャルドを理解していた。
あの動物園も遊園地もいまはなく、日本民家園と岡本太郎美術館それにバラ園をのこしているのみ。
池田さんの展覧会は勿論すばらしく、戦後芸術の担い手として重い仕事をつづけてきた軌跡があざやかに胸にせまった。岡本太郎にはガーシュインの曲に道具を書いてもらった1958年のシゴトの思い出が走馬灯のごとく浮かんだ。「どうだ。座れない椅子だぞ」と眼をむいて自慢した高樹町のアトリエの太郎さんが立ちはだかり、「アバンギャルドは死んでない」と叫んでいたように見えた。
アバンギャルドは死んだ。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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