検察審という名の人民裁判

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 検察が二度に亘って捜査したが結局不起訴となった小沢案件を、検察審査会というシロウト集団が起訴すべしと議決して、再び小沢抹殺劇の開演となった。おバカなテレビ芸者たちは、これで市民目線が生きただの、市民感覚が正しいと称賛しているが、この問題に関する大新聞、テレビマスコミはあまりにもひどい。旅費宿泊費付き日当8000円の11人のシロウトを、いかにも1億2000万人の総意のごとくに扱い、「市民の目、起訴決断」「市民感覚 逆襲」と市民尊重の体裁をとりながら、改めて小沢叩きの紙面をつくっている。テレビのワイド・ショウもみのもんた、古館一郎を始め、報道部長、報道デスクなど総出で、透明性やら説明責任やら、限りなくクロに近いブルーと民意を煽ってきた。あれほどダーティイメージをふりまけば、シロウトはあっさり洗脳されてしまう。検察審議会平均30.9才の職業学識人格は全くわからないが、どんなに間違った議決をしても匿名に守られ、責任を免れるというのだから始末がわるい。テレビを見ながら「この事件でもやろうか」ののりでクジに当たったメンバーが、市民目線といっても到底信用できない。
 なによりも多くの冤罪を作り出してきた検察審議会というシステムの再検証をすべきだろう。検察審の告発による裁判の無罪率が異常に高いというのもあきらかに無責任システムのそしりをまぬがれないし、どうかんがえても無知と無責任がまき散らす人民裁判とおもえるのだ。冷静に事態の推移をみれば、小沢排除のカラクリも簡単にみえてくる。野党とマスコミの、除名、離党、議員辞職要求のまえにおたおたしている民主党もだらしがない。いい加減に目を覚ませである。小沢抹殺ですべてことたれりとは到底おもえない。55年体制の打破は甘っちょろい議論やマスコミだよりの民意ではない強力にして高度な政治力を必要としている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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