軽井沢に中川一辺陶の土鍋が集結した。10年ほど前から「うまい白飯」にたいする憧れが強くなり、IHジャーだの、銅釜造りだの、炭練りこみ釜だの、と山田電気にいくたびに電気釜のまえにたたずんで考えていた。そこに登場したのが土鍋ブームだ。田舎風の大きなへっついを造ってシンボルとしたり、黒のタジン鍋で料理をだしたり、信楽のごはん鍋を真ん中にすえて、めしを楽しむ秘かなブームがじわりと広がっている。日本の米の美味さをあじあうには、このにくあつの土鍋以外には考えられない、と思わせられた。
秋の初め、ギャラリー桜の木に100点の土鍋が並べられた。鴨釉皇室御用達の御飯鍋、鍋のふちに熱が蓄えられるよう大きな縁がぐるりとまかれている。しゃぶしゃぶ専用の飴釉片口鍋、飴の色が美しく雅な土鍋である。すき焼き、ステーキ、塩釜、にも使えるすのこ付の鴨釉蒸し鍋は無水調理にも使える優れもの。気にいって求めたのは世の中で最も高火力に耐えるという雪紋飛鉋とんがり鍋、とんがりの部分の造形が素晴らしく朝鮮半島新羅の頃の雰囲気がある。愛でる楽しみを兼ねて、ふたの部分を緑の交趾で作っていただくようお願いをした。今から雪紋と緑交趾の鮮やかなコントラストが目に浮かび出来上がりを楽しみにしている。
かって柳宗悦がとなえた実用の美しさ「用の美」がしっかりと生きて大正から昭和にかけての日本民芸運動の結晶がここにある。ギャラリーでは全員総出で、新橋浅見特製のじゃこに白飯を振舞ったり、たんくまの松茸めしを土鍋で炊き上げたり、なかなかのおもてなしをくりひろげた。
「プロの料理人に使っていただく鍋なので、丈夫であること、使い勝手の良いことは当然、一日に何度も洗っては火にかける酷使に耐えられなければならないし、その上いちばんの条件はいい味のでる土鍋でなければなりません。」洞爺湖サミットで世界の要人をもてなし、一流料亭になくてはならない一辺倒土鍋とのシアワセの出会いであった。
一辺陶の土鍋
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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