英語がペラペラでもバカはバカ。

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ニッサンに続いてユニクロ、楽天が社内での公用語を英語にした。「日本語には敬語があるのでざっくばらんな会話ができない。上司と部下もニックネームで呼び合えば、自由に話が出来、フラットな組織になる。」というのが、楽天銀行社長の言葉だが、みずからを「アッピー」と名ずけ、秘書を「ミッチー」と名ずけて、「ヘイ・ミッチー」「ハーイ・アッピー」と呼び合って仕事が始まっているそうだ。フレンドリーなのは結構だが、そのなかで礼儀作法をわきまえて行動するのはかなり難しい。とくに未熟な新入社員の場合、先輩に教えを乞う立場にありながら、ヘーイの言葉使いはどうにもなじめない。一時帰国子女やら留学帰りが日本の企業風土に合わないというので、人気急落したことがあったが、共通の問題をかかえているようだ。ホンダの社長は「日本人が集まり、日本人が暮らしているここ日本で、英語を使おうなどというのはバカな話だ」と切って捨てたといわれているが、民族のプライドもなければ自国の文化への自信のなさが、英語万能主義に走らせるのだろう。
 英語での会議は、プレゼンしたり、主張したりはなんとかなるが、議論を深めるということになると足踏みをしてしまう。後から別室で日本語の裏会議をするという実態があるそうだ。国内で勤務している社員全員が英語ペラペラになっても、会社の業績は上がらない。ニッサンのクルマを日本人に売るのに英語では売れない。中国人には中国語、ブラジル人にはスペイン語のスキルのほうが役に立つのは自明の理。グローバルな商売には現地の人がいちばん役立つ。楽天では二年後に英語の出来ない執行役員は首と宣言したそうだが、英語すべてで能力を推し量るのは、旅行会社位にして欲しい。日本でのビジネスが上手くいかなくなり、英語圏に転出しようというのなら、まあ仕方がない。だが英語がペラペラでオバカな学生は、いつまでたってもオバカなままであるということを、肝に命じることだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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