あらゆる病人が集まるのが病院だから、あらゆるばい菌病原菌が集まって不思議はない。が国内最大規模を誇る最新の病院が舞台とあれば、洒落にならない。主役は「多剤耐性菌アシネトバクター」という名の抗生物質がきかない恐怖の細菌だ。ある病院では患者46人が院内感染し27人が死亡、愛知県の大学病院でも患者24人から多剤耐性菌が検出されていたことが発覚、茨木の大病院でもインドから帰国した患者からスーパー耐性菌が発見された。情報開示を進めるべきだ等と言っている場合ではない。感染したら最後、いっさいの治療薬がないのだから、エイズよりも怖い病であるし、死刑宣告に等しい。発症病棟をただちに閉鎖して院内感染を防げという医者もいるそうだが、おおかたの病院は感染制御部は手薄で、東京都の医療安全課もこの報告書を1か月も放置したあげく、「病院の不手際に不満である」といったお役所仕事なのだ。半世紀にわたって使い続けてきたペニシリンやら抗生物質をこえて、こうした多剤耐性菌が発生するということを専門家は予測出来なかったのだろうか。
すでにアメリカで実用化されている抗菌剤コリスチンの導入も進んでいない。いまようやく「医療上必要性の高い未承認薬検討会議」に取り上げられた段階だという。承認され製薬されるあいだに、何十人、何百人の貴重な命を見殺しにするつもりなのか。エイズや砒素で懲りた筈の厚生労働省はあいかわらずの「患者不在行政」で、警視庁だけが業務上過失致死罪の疑いがあるといって事情聴取を始めたと伝えられているが、本来あとから責任を追及するまえにやらなければならない仕事がある筈でことは急を要している。牛や豚などの商業家畜にたいしては、声を張り上げて防疫戦争をするのに、この恐怖の院内感染については全く声が聴こえてこない、役人と政治家はなにを考えているのだろう。サボルナと云いたい。
恐怖の院内感染
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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