銀座三越が増床して一大リニューアル、銀座地区一番のデパートになったと宣伝が踊っている。コミニティ広場を充実して、オープン・カフェを作ったとか、今まで見られなかったブランドをふやしたとか、お客様の利便性を第一に店づくりをしたというのだが…どうも今いちしっくりこない。
現在すでに銀座はファストファッションの街と化している。ユニクロ、H&М、ギャップ、フォーエバー21、ZARA、これからもどんどん増えることだろう。セレブのためのブランドも充分ある。シャネルを始め、ディオール、エルメス、アルマーニ、ティファニー、ルイヴィトン、そしてバーニーズ、エストネーションを始めとするセレクト・ショップなど、こうした銀座ファッシヨン・タウンに、むかしながらの百貨店が必要なのかどうか、基本的な疑問がつきまとう。
人々はすでに単一ブランドの専門店になれてしまっている。まず空間が違う、そこにはブランドの主張するスペースがあり、インテリアも什器も個性的で、サービスまで総てブランドのために奉仕している。発散する空気がまるで違うのだ。ファスト・ファッションにしてもそれぞれのクラスターに向けて見事な展開をみせている。デパートがどんなにがんばっても所詮百貨店という業態そのものが時代おくれであり、スタッフの脳みそがかっての百貨店全盛期の細胞に犯されている。例えばアクセサリーと化粧品、靴にしぼつて展開するとか、雑貨と食品を中心にレストランのレイアウトを本格的なものに昇格させるとか、いずれにしても発想の改革をしなければ、デパートに明日はない。 かつてニューヨーク五番街のデパートが、次々と倒れていったあの光景を二度と見たくない。前門には静かにネット・ショップが立ちはだかっている。インターネットに於ける販売方式も、しだいに見直されサービスが充実してくると、デパートの売り上げは軽く一蹴されてしまうだろう。銀座三越の進軍ラッパはどうしても終りの始まりに聴こえてしかたがない。
銀座三越・終りのはじまり
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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