罪深い電機メーカー

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 フルトベングラーやらトスカニーニ指揮の黒くて重いレコードを、少しずつ買いためて本箱のよこに重ねて置いたあのSPはいつの間にか薄いLPにとって代わられた。それでも3、4回針を通すとノイズが発生するので、新しいLPを聞くときはいつも居住まいを正し、初恋の彼女に会うような緊張の中でレコードを聞いた覚えがある。真空管のアンプで聞くべきか、それともトランジスターのアンプでいいのか、懐かしいウンチクだった。そのLPもいつしかカセットになり、CDに代わり、MDが登場した。六本木に事務所を構えていた頃は、資料室と称し、15坪のマンション一杯にCDと本をいっぱいに並べていたが、あの空間は秘密のお宝部屋だった。ときにLPのジャケットデザインに惚れて、埃がかぶるほどに飾っていたこともある。それがいまやダウンロードだの、ipodだのと、手元に音源を置いておく必要がまったく無くなって、つねに丸裸で音楽とつきあっているような気分なのだ。考えてみると電機メーカーの都合にお付き合いした半世紀であった。ウォークマンだのベータだのと、素人を振り回した末に、さっさと転進したソニーなどは罪深いメーカーだったといえよう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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