真紅の楽屋…日本中探しても何処にもない。巴里中探してもまず見つからない。赤という色は色の中の色、具体的には火、太陽、リンゴ、薔薇、血、唇 … 抽象的には情熱、愛情、怒り、危険、活動、色情、緊張、興奮、歓喜など人間の本能的な部分をもっとも刺激する色でときに爆発的な暴力をも扇動する。ムーラン・ルージュのバックヤードには、3m四方位の小さな楽屋が沢山あった。フレンチ・カンカンを踊るドリス・ガールのための楽屋で、等身大の鏡が取り付けられたふたつの壁と、真紅のペンキで塗り込められたふたつの壁面、踊り手は真紅の反射を繰り返す無限遠の赤い部屋て゛メークをし、予備運動をして出番を待つ。この赤い楽屋に30分もいると精神は異常に高揚し、肉体は高ぶり、爆発的なエネルギーが蓄積される。天国と地獄の音楽となるや、奇声嬌声をあげてステージに飛び出していく踊り子たち。ムーランルージュの真紅の楽屋はカンカンにとって必要不可分の空間で、舞台装置より重要な道具だった。舞台への通路も赤く、背伸びしても届かない高い位置に引かれた線に「1930・KIKI」とか「1951・BEBE」とかいたずら書きがあって、カンカンの踊り子たちの汗が染みていた。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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