かっての仕事場であった赤い風車の「ムーランルージュ」、そのお隣にシラノ・ド・ベルジュラックというレストランがあった。奥の一隅には芸術家気取りの一群が集まり、反対側にはムーランの踊り子、大通りに面したテラスには娼婦たちが客待ちをしていた。ムーランのショウが終わってからの深夜食はいつもここだった。決して上等ではなかったが、気楽に良き時代の親切が溢れ、卵料理をならったのもここのシェフだった。久しぶりに訪れたが「Q」と大きくかかれたアメリカンバーガーの店にかわっていた。道のむこうはエロティシズム博物館、日本の秘宝館を想像してもらえばいい。小さなパン屋や果物やは姿を消し、セックス・ショップやエロビデオの覗き屋の洪水だ。「二匹のろば」「十時の劇場」といったこじゃれたシャンソニエも見当たらず、寄席芸よりは助平な観光客を宛にした街になっていた。その下俗の街を白く可愛いトロッコ電車が観光客を乗せて走り回っている。映画アメリの舞台となったルピック坂の「レ・ド・ムーラン」では背丈の足りないロートレックそっくりの老人がクレーム・ブリュレのカラメルをわっていた。貧しさのなかに品のある横顔がとても嬉しかった。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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