隧道を抜ける風が心地良い葉山の初夏。芝居仲間と連れ立って岩山の向こうの石原家をめざしていた。1955年芥川賞とともに登場した「太陽の季節」は異常な反響を呼び、その後の彼の才能は止まることなく「日蝕の夏、失われた女、理由なき復習、透きとおった時間、狂った果実等」次々と話題作を生み出していた。56年に発表された「処刑の部屋」の舞台化のための訪問だったが、彼は快諾してくれるとともに舞台に異常な関心を示した。劇場という仮想空間に魅せられたのだろう。その後の彼の仕事はどこか劇場型なのだ。東京カジノ構想に挫折し、新銀行東京、魚河岸引越し問題、オリンピック招致と失敗を重ね、「東京から日本を変える」といったスローガンも色褪せてしまった。一ツ橋出身の政治家にありがちの経済過信にも足をとられた。息子たちへの世襲意識も傲慢不遜と揶揄され、落日の石原王朝とまでいわれている。いままた権力欲に固まった年寄りに担がれ「立ち上がれ日本」などと声を上げているが、そろそろ政治の道を諦め、恵まれた才能を生かして文学への道を静かに歩いて欲しいと、願わずにはいられない。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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