銀座がアメ横になる。

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 日本人総貧乏がとうとう日本の真ん中、銀座有楽町にまで押し寄せた。デパートがつぶれ、ブランド・ショップが消えた後、元気なのは家電量販店とファストファッションだけ。売れない商品を売れない価格で無理矢理売ろうとしてきた主役は次々と淘汰されて、はっと気が付いたら銀座はアメ横になろうとしている。ユニクロはどんどん増殖し、スウェーデンのH&M、スペインのZARA、アメリカのGAP、アバクロにいたってはイケメン流れ者の外人男性を上半身裸にし、女性客の視線に晒して人気を呼んでいる。街を往く女性たちはほとんどがジーパンかレギンス、スカートの没落は女性の地位向上の証しなどと呑気なことはことはいってられない。150万点の商品をならべる家電量販店もサンプル会場化し、主婦たちは量販店でじっくりと品定めをし説明を受けた後、家へ帰ってネットで一円でも安い商品を探す。有楽町西武の後は、ヤマダ電機対ユニクロの争奪戦になっているともいわれるが、いずれにしても、竹中ショック以後のアメヨコ戦争なのだ。○○銀座と呼ばれる地方の繁華街もシャッターだけが増えて、小売店はほとんど空洞化している。デフレの底は見えない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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