どこから見てもオーラのない、ただひたすら素直そうに見える妹系キャラクターの深津絵里がモントリオール映画祭で最優秀女優賞に輝いた。「君達、肉体関係のある二人に見えないから、一時間外で抱き合ってこい」監督にそう言われ、妻夫木聡と深津は猛烈なハグに挑んで役作りをしたといわれる。経験則だが、女優は「ある日」または「ある時」、突然に上手くなることがある。表面的にはフッキレタとか、稽古が実をむすんだとか、体裁のいいことをいっているが、イメージトレーニングだけではそんなに都合よく名演技は生まれない。男優と女優が裸で向かい合う、女優が監督にすべてを開く、心と肉体の壁がとれた時突然上昇気流に乗って、演技を超えた演技が出来るようになるのが、女優という生き物だ。自分の肉体と五感を総動員してもう一人の人間を作らねばならない、それが善人であれ悪人であれ劇中の物語にそった状況に従うのが職業俳優の仕事だから。ラブシーンであれば、監督に指示されなくともパンツを脱いで撮影に臨む、それが女優なのだ。いい加減なテレビドラマになれたアイドル俳優にはとてもできない。映画「悪人」は土木作業員が犯してしまった殺人事件を軸に人間関係の希薄になった現代で「本当の悪人は誰だ」と問いかける吉田修一の話題作だが、深津絵里のどこにそんなエネルギーが潜んでいたのか、やはり女優は魔物である。女優とは結婚したくないと云ったタモリの気持ちもよくわかる。
ベルリンで認められたキャタピラーの寺島しのぶ、告白の松たか子、そして悪人の深津絵里、みな次の世代を担う新しい女優たちだ。興行会社やプロダクションのメニューに頼らず、私生活を公開せず、自分で自分をプロデュースする事の出来る、たしかな世界観をもった人々なのだろう。
女優は魔物である。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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