バラードはいらない。

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 21世紀を迎え、「音楽イベントを考えて欲しい」という地元有志のプロポーズに答え提案したのが、軽井沢ラブソング・アウォードだった。当初オープン・エアの会場では浅間山爆発の噴煙をかぶり、大賀ホールが出来て屋根のしたの安心催事となって今年で7回を迎えた。万歳の掛け声と共に賞金の100万円を贈呈した宮川泰さんも亡くなり、北海道から沖縄までの応募者も落ち着きをみせて、お祭りから作品コンクールへと本来意図したイベントの表情を持つようになってきた。
 第6回のテーマ「愛踊る」では躍動する若さが集まった。そこでさらにカロリーアップを期待し第7回は「出会えた!心躍る喜びの歌を」とテーマを定め、愛が生まれる劇的瞬間の心と肉体のたかまりを期待したのだがこれが大誤算。ファイナルに残った12曲のうち7曲までが「有難う」の大安売り、生んでくれてありがとう、育ててくれて有難う、君に出会えて有難う、この時を有難う…そんなことを今更歌にすることはないだろう…まるでPTAの大会ではないか、すこしは人生に疑問をもち、喜びにぶつかれ、と言いたくなった。人間が小さくなり、建前人間だけがふえて、歌も滅亡の道を歩いているのだろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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