東京生まれ、京都育ちの藤田まことさんが76歳の若さで亡くなった。ひょうひようとして何処か影のある大人の役者だった。折りしも森光子さん主演の放浪記が上演中止となり、同じ森光子主演のびっくり捕り物帖でテレビに進出した藤田さんが亡くなる。走馬灯のごとくに人と時が過ぎ去っていく。それにしてもひどかったのは、土曜ワイド劇場に於ける追悼番組だ。「京都殺人案内~京友禅に染め込む殺意の紅!鞍馬火祭りの夜に燃えた最後の恋」このひどい番組を魂の遺作と銘打って放映した。あきれてものも言えない。若いときは、歌から声帯模写、漫談、司会、とあらゆることをしたが、彼は藤山寛美とならぶ関西の喜劇王だった。関東の森繁久弥に勝るとも劣らない名優だった。小林正樹監督による映画「日本の青春」における好演は語り草だったし、必殺仕掛人の中村主水ももう少しましだった。彼を追悼するのに、あのひどい殺人ドラマを放映して恥ずかしくないとは。視聴率の顔色を伺い日々汲汲としているテレビ人の恥部をみた想いだ。故人をおとしめ、テレビの無能ぶりをわざわざ見せ付けた不愉快極まりない追悼番組であった。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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