そばの花が寝ている。

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 この春、事務所の引っ越しをした。国道18号ぞいと信越線にはさまれた離山の旧事務所は目につきやすいとても便利な場所だったが、ひっきりなしに国道を走る車の騒音と電車の疾走するノイズに絶えず悩まされていた。その上、今風の総ガラスのシースルー建築であったため、夏の交通渋滞も、冬のダイヤモンド・ダストも手にとるように見えたが、反面外からもたえず見られていて、今日は会議をやっていたね、とかずっとオチャしてた、とか不都合なこともままあった。そこで引っ越したのが、18号バイパスに来年出来る千住博美術館の南側塩沢と呼ばれる地域のとある建物である。僕の仕事部屋は二階の西南、デスクの正面に浅間山が望見でき、眼の前には1000坪ほどの畑が広がっていた。やがてみどりに覆われたその畑を毎日眼にしていたのだが、塗り込められた風景画のように漠とした興味で毎日対峙していた。
 ところがある日眼の前の緑が真っ白になった。小さな愛らしい小花が無数に咲いている。「えぇっ、そばだ。蕎麦の花が咲いている。」蕎麦の花がこんなに身近に日々見られる、なんという幸せ。がこの夏の暑さに蕎麦の花はどうなってしまうのだろう。なんとなく緑の茎の色も色あせてきたように感じ、蕎麦は暑くても大丈夫かなと無意味な自問自答を繰り返していた。台風一過、雨風の洗礼を受けた蕎麦の花たちは色をまし、たゆとう白と緑の海となって広がっていた。倒れかかった蕎麦たちは波のうねりとなってリズムをつくり緑の海と化し、無数の白い小花が幻想的にちりばめられている。自然のつくりだす心優しいベットのようであり、なんとも色っぽい情緒をかもしている。いますぐ二階から飛び降りて蕎麦の花たちに抱かれたい。よく考えてみると、今まで蕎麦の畑を上から見た経験がなかった。この蕎麦たちが無事に育って、「新蕎麦でました」の看板の掛かる日を心待ちにしながら、眼の前の蕎麦の花の寝台を楽しんでいる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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