明治の鉄道王雨宮敬二郎が、ここ軽井沢に来たとき、見渡す限りの火山灰地だった。荒涼たる風景に接した彼は、自らの手でこの高原をみどりの大地につくり変えようと決意、一生かかって700万本にのぼる唐松を移植、リゾート軽井沢の自然の基礎をつくった。落葉松の新緑はどこか愛らしい魅力があり、秋のフィナーレを飾る黄葉も華やかさのなかに寂しさをたたえて素敵だ。北原白秋は大正浪漫運動の風を落葉松の林に託した。ところが近年この唐松に人気がない。白樺とともに、変動した気候に合わないとか、そりや曲がりがあって住宅材に適合しないとか、要は愛情がない。
ところでアルピニストの憧れマッターホルンの麓のまち、ヨーロッパで一番早く春が訪れるツェルマットという村がある。この村は落葉松のむらだ。4階建て、5階建ての家々がみなモダンな合掌造りのような表情をもち、白壁とカラマツの材によって作られている。人々はアルプスの絶景を楽しみながら、スキーもそこそこに春の陽光を楽しんでいる。アルプスに祝福された落葉松の村がありながら、浅間山に祝福された落葉松の街がない。犯人は誰だ。
落葉松に冷たい軽井沢
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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