美しき40代が離婚を決意したら。

by

in

 美しさに自信のあるアラフォーの主婦が離婚を決意した時。アラフォー雑誌の隅から隅までチェツクし、読者モデルの公募状況を把握する。自身のカラダ・データーを計測し、ただちにエステに通い婚前90日コースに準じたお肌の手入れをし、主婦の疲れを取る。一方、夫と冷静に話し合いを進め、押印済みの離婚承諾書を手に入れ、何時でも役所に提出できるようひそかに準備を進める。43歳にして東洋英和女学院大学に入学し、麻布辺りのセミプロ・スタディオで写真をとり、けなげな一文を添えて目指す雑誌のデスク宛てに送る。…やがて編集デスクからヌード写真の要請があれば、ちょっとした恥じらいを見せながらも積極的に受け入れる。ただしこの時ひとつオネダリをする。かねてから関心を持っている芸人、タレント、スポーツ選手などのひとりに狙いを定め、指名してインタビューまたはカップル・フォトのオネダリをする。普通プロであれば、とても出せない条件を平気で口にすることができるのが、プロフェッショナル・シロウトの強みだ。40代の彷徨える読者モデルにのみ許される特権でもある。ここまで漕ぎ着ければあとはアナタ自身の肉食感覚の腕の見せ所。あのショーケンこと還暦の萩原健一とカリスマ主婦モデル・冨田リカの熟年愛が紙面とワイド・シヨウを賑わすこととなる。
 その昔JJの人気モデル・黒田知永子も主婦モデルとしてブレイクした後に離婚、VERYの岡田美里も紙面で離婚、MARTの花田美恵子も離婚、ちょつとキレイで上昇志向の強いカリスマ主婦モデルと、アラフォー主婦雑誌は手を携えて、離婚の商品化を進めているようにも見える。抜群のファッション・センスやライフ・スタイルを紙面で披露し、バリ島のブルガリ・ホテルなどでヌードなど見せられた時、隠された彼女の欲望を読み取らなければならない。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ