政治家を志す若者は、まず大学の政治経済学部を目指した。東大法学部という官僚へのエリート・コースを除き、早稲田大学、中央大学といった六大学の政経コースは、星雲を志す学生の気運にみちていた。そこで歴史と経済と政治思想と経済理論と哲学と倫理人文を学んで新聞学科なり政治学科を選択した。しかし時代は何時の頃からか情報学部やら国際関係学部となり、データやら統計に右往左往する端末学部になってしまった。レシピやマニュアル至上主義の「考えない葦」の繁殖場となったのだ。
その頃1979年湘南茅ヶ崎に造られたのが、財団法人松下政経塾、二股ソケツトからテレビまで販売の神様松下幸之助の遺産事業だった。22歳から35歳の政治を志す青年を育てる目的て゛、人間観、国家観、歴史観、を学び明日の政治家を創ろうという壮大な志の私塾である。同じ頃着々と宗教観のある政治家の育成に取り組んでいたのが、池田大作による公明党、創価大学という直属の学校をもち創価学会という宗教団体を背景に政界に登場した。半歩遅れた政経塾も着々と政界に進出し、いまや公明党を抜く勢力となり、民主党などは30人の政経塾出身議員をかかえている。議論ばかりの頭でっかちなどとよくいわれているが、政経塾で毎月20万円のサラリーを貰い、年間100万円の活動費をもらつてきた過保護のアマチュア議員と指摘されても反論できない。すっかり官僚に取り込まれた野田佳彦財務大臣、高速料金でうろうろする前原ヤンバ大臣みな松下政経塾出身なのだ。一時政経塾出身議員で単一新党を創ろうと目論んだが、政界のパワーゲームをいやがるひよわな議員たちはまとまらず挫折した。足腰の強さでは、新しい日本のリーダーを育てたいという小沢一郎政治塾出身者のほうが、カロリーがあるのかもしれない。いわば体育会系といわれる人たちのほうが信義に厚く、責任感も持ち合わせているのだろう。
松下政経塾ってなに?
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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