祇園の神無月は温習会に始まる。観光客目当ての春の都をどりに対し、秋の温習会は厳しい稽古の成果をご贔屓にみせる晴舞台である。四条通りと花見小路の交わる一力さんのかどには、「温習会」の大きな看板が上がり、雪洞が歌舞練場につながる。お茶屋さんの軒先にはつなぎ団子の提灯が提げられ、街中が華やかな気分に覆われる。まだ年端のいかない舞妓さんは「七福神」やら「貝づくし」、舞というよりマイムに近い手ほどき物で序幕を飾る。黒のおひきずりの舞妓の初々しさが、お客さんの心にとまる。アラサーの芸妓さんは心中物、惚れぬいて覚悟の死出の旅「小稲半兵衛」やら、お七吉三の許されぬ恋「梅見船」などで、成熟した女の表情を見せる。大きなお姐さんは能に因んだ「熊野」で、母にも会えぬ宗盛の愛妾熊野の悲しみを格調高く舞い、高齢の芸妓さんは、女ひとりたぎる想いのお茶を点てているところへ、鶯の鳴き声に「あの人がくる」と知らされた喜びの味わい。歌舞練場の入口では甲部歌舞会の総務さん、富美代の太田紀美さんが美しい表情で迎えてくれる。舞台がはねると客はお茶屋に移り、贔屓の芸妓と共に評判のあれこれを楽しむ。さまざま桜ならぬ、さまざま女の見本市が祇園温習会である。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す