慎重に見守るという無策。

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 円高対策に関する緊急会見。野田佳彦財務相による記者会見とあって、おおかたのマスコミは打ち出される政策に対する期待をもって集まった。そこでの大臣の発表は「政府日銀連絡を取り合って、さらに注意深く見守っていく。」つまりこの円高に対し何もしないということだ。この内閣は何も出来ないということがはつきりしたので、市場はさらに円高にふれた。
 総理大臣も日銀総裁と電話会談のあとの記者会見をしていうことには「しばらく市場の動向を注意深く見守っていくということで意見の一致をみました。…」あいた口がふさがらないとはこのことだ。為替相場というのは、経済戦争の尖兵でこれによって国力がおおきく低下したり、増大したりする。間発を入れずに対策をうちだすことこそ、世界中の投機筋にたいする防衛策だし、政治を託された大臣の義務でもある。市場ではどんどん円高が進み、輸出企業の利益は急速にしぼんでいく。この政府は世界を相手にした経済戦争は出来ないということを証明している。小沢一郎ならずともこのソーリでは国が亡びるといいたくなる。一年生議員を集めて、三年先の同時選挙をぶち上げる暇があったら、まず円高まつただなかの失業対策、金融政策を打ち出してほしい。FRBアメリカ連邦準備制度理事会がゼロ金利政策を打ち出したら即日防衛策を出すくらいのフットワークがなければ、世界中の投機筋の餌食になって破綻してしまう。為替対策は知能と時間の戦争だといわれている。危機感のなさは海外旅行でお土産がいっぱい買えたわと喜んでいる単細胞の隣のネェチャンとまったく変わらない。政治とカネがどうしたこうしたと突っ込む前に、ちゃんと勉強し経験してきた政治のプロを正面にたてないと、中国に水をあけられ、韓国にバカにされ、インドの後塵をはいし、いいようにアメリカの餌食になる三流国まつしぐらの、悲惨な明日がまっている日本になってしまう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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