カンボン通り31番地

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 今日8月19日はココ・シャネルの誕生日だ。ヴァンドームの広場からカンボン通りにかけての思い出が走馬灯のように駆け巡った。その日、僕はどきどきしてカンボン通りに向かった。数年前シャネルによって発表されたショルダーバックを遠い日本の恋人に贈るためだった。31番地の店先から薄暗い中が覗けた。そこには黒いスーツの二人のマヌカンが影をつくっていた。隙のない完璧な美しさに僕は立ちすくみ、店のなかに入って行く勇気が萎えてしまった。数年後、シャネルの住んでいたリッツに宿をとり、今度こそはと31番地に向かった。ドアボーイに軽く会釈をし、店内に歩をすすめた。にっこりとめざすショルダーを口にしかけたその時、どやどやと侵入してきた一団があった。肌の黄色く足の短いそのグループは手にちぎったアンアンの頁を持っている。口々に商品名を叫び、印刷された写真をわれさきにと指差す。さっきまで品良くひかえていたマヌカンが横をむいて舌をならした。僕は居たたまれなくなって買わずに店を飛び出した。そこらじゅうに恥を撒き散らして歩くJALパックご一行様だった。パリを諦めた僕はその年の秋、カンヌのシャネル店で、待望のショルダーバックを手にいれた。


コメント

1件のフィードバック

  1. 同感です。苦い経験でしたのに読んで笑ってしまいました。私もパリに住んで3カ月目 いまだに目前を通るだけ、スーパーマーケット状態の店内に入ることができず萎えてます。

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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