1961年パリから帰ってきた時、六本木の近所にレオスというカフェがあった。さしたる特徴のないたまり場だったのだが、そこに集まった若者たちのマドンナが「大原麗子」だった。そのマドンナの隣の席をめぐって、田辺靖雄、峰岸徹、井上順等が競って番を張っていた。粋も甘いもかみ分けた様な大人の女の響きに充ちた彼女の声は、印象的な大きな瞳とともに男どもを支配下に置いた。小悪魔そのものの「加賀まりこ」に対し、どこかやさしげでお姉さんのような彼女には、不良青年どもは素直に従っていた。オートバイやMGで第一京浜を逗子まで飛ばし、浜辺で焚き火をして帰ってくる、といった無邪気な遊びだったが、六本木野獣会と呼ばれ、六本木族と囃されてメディアに重宝がられた。やがてたまり場は飯倉のキャンティに移ったのだが、遊びの仲間はいつか文化サロン風になり、ファッショナブルになってパワーが落ちて行った。彼女は好感度No.1女優を獲得し、寅さんのマドンナにもなり、二度の離婚を繰り返したあとも、「麗子ねぇ…麗子ねぇ」という舌足らずの可愛い性格は変わることなかった。誰にも看取られることなく一人で旅立ったのは彼女の本意であったと信じている。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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