行きましょう。」ヒトリ・コントの友近がやたら脱ぎたがっている。そこそこに歌も唄えた友近は、芝居の次にダイエットに励み、とうとう「あたしぬぎましょうか。」という方向に的を絞ってきた。一発屋芸人の浮き沈みは激しい。ギロッポンの歌のねずみ先輩は来年廃業を宣言し、一時は月収400万を誇った小梅太夫も3万円に減ってアルバイトを検索中とか。いまさら梅沢劇団にも戻れず悲しい日々をおくっているそうだ。流行語大賞までとったスエット芸人テツ&トモもどこかへ行ってしまった、ナンデダロウ。波田陽区もギター切りで残念!SMの女王様にしおか・すみこも衣装をぬいで三列目のクイズ芸人になっている。へんなマスクの鉄拳も、ゲッツのダンディ坂野も、桜塚やっくんもみんなガッカリだよ。エンタの神様とともに刺激的に登場した彼らに芸はなかったのか。テレビに煽てられ、テレビに媚びて、テレビが飽きてポイと棄てられて、あわれをとどめたのは一発屋芸人の人々だ。おりしも世の中は空前の大不況、安かろう拙かろうでは使われないが、安かろう上手かろうなら仕事はつづく。一発屋芸人の意地を見せて欲しい。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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