ピナバウシュを悼む。

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 20世紀のダンスを創った二人の偉大な才能…ベジャールについでピナバウシュが逝った。彼女はドイツ、ゾーリンゲンで1940年に生をうけた。高度な知性と鋭利な感性をもつた彼女は、ガンにさえ侵されなければ、まだまだ時代の水平線を切り開く傑作を創り続けただろう。文学や美学で表現できない精神世界を、まったく新しい舞台表現で私たちの前に提示してくれた。
 すぐる年、ピナバウシュの作品を見に国立劇場にでかけた。客席へ足を運び思わず息をのんだ。10間間口の舞台いちめんに厚く引きつめられていたのは土、土に覆われた世界だった。そしてその大地に10000本のカーネーションが咲き乱れていた。この「カーネーション」という作品こそ彼女のターニング・ポイントといわれ、春の祭典、七つの大罪、カフェ・ミューラー、フルムーンとつづいた。「フルムーン」では舞台上いつぱいに水を放ち、水しぶきの中で変化する肉体と水のかかわりに迫った。それは水かけ祭のようでもあり、生命の祭りでもあった。世界15カ国の個性的ダンサーによる表現は「タンツテアター」と呼ばれていた。偉大な導師を失ったモダンダンスは何処へ行くのか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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