映画「サガン・悲しみよこんにちは」を見た。脚本監督のディアーヌ・キュリスはリヨン生まれイタリア系の60才を超えるおばさん監督だが、サガンが騒がれたあの頃のパリを知らない。とくに上流社会、社交界をしらないのが致命傷だ。脚本監督兼任の欠陥がでてしまった作品で、世上語られているサガンのスキャンダラスな事件を表面なぞっただけの映画で、ちょっぴり残念だった。
18才にして364億の金を手にしたとき、1000万円の豹皮のコートに腕を通したとき、サルトルからドヌーブ、バルドーはてはミッテランに至る相手との麻薬と快楽の日々、天井知らずのカジノ通い、その折々に天才的な文筆家の苦悩と歓喜があった筈だが、その部分はどこにも描かれてなかった。表面をなぞってむりやり死の絶望に結びつけたという印象がつよい。観客はあらかたサガンの絶対的信奉者が多く、映画と観客のあいだにはしっかりとした予定調和があり、隣の席にいた女性などはスクリーンに涙し、明るくなっても席を立とうとはしなかった。孤独、絶望、歓喜、そして別れにみちたセシール・カットの老いに人間の業をみた。
愛も名声も贅沢も…全部手にいれて失って。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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