石原プロの大愚行

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 石原裕次郎23回忌を国立競技場でやるという。200㌧の鉄骨を使い600㎡の本殿を作ってやるというが、宮大工の手で造るわけではなく撮影所の道具方につくらせるのだから伝統的な寺社の雰囲気とは程遠いイベント寺ができるのだろう。石原一家の選挙対策であることは間違いなく知事選に向けて、東京マラソン、東京オリンピック、裕次郎忌と盛り上げて、新銀行東京の大失敗も忘れて貰おうと云う魂胆が見え隠れする。鶴見の総持寺から本尊を運び、坊さん160人を動員するそうだが、御本尊は石原一家のためにだけあるのではなく、檀家すへてのものだから仏不在で怒る信者も現れるだろう。
 そもそも裕次郎ほど役者として代表作のないスターもいない。取り巻きが悪かったため、つねに座りのいい真ん中にキャスティングされドラマ俳優としての演じ場がなかった。「太陽に吼えろ」「西部警察」みなしかりでただの署長かデスクなみ、芝居は全くしていない。筆者が民放初出演の裕次郎を演出した「素敵な仲間」でも、彼は真ん中でボスだったため、ドラマにはなりえなかった。死んでからもそれに似た愚行をくりかえす石原プロというイベント屋にも困ったものだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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