新聞記者の職探し

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 100年に一度の金融不況は、とうとう誇り高い新聞記者の足元にまで押し寄せてきた。広告収入の激減と読者ばなれの荒波をかぶり、新聞経営者は本腰を入れて、記者の配転と口減らしを始めた。新聞社にとって
雇用問題ほどやっかいなものはない。弁論の士が相手なのでうっかりしたことはできない。一行15字からじわじわと11文字にし、総頁数を落とし、さらに夕刊の廃止に踏み切れば五割近くの記者はいらなくなる。
 給料を落とし、勤務日数をへらし、アルバイトをどうぞ、と言ったところで、そう簡単には解決しない。近隣の国をみても朝刊、夕刊を出しつずけているのは日本と韓国位で、中国もロシアもアメリカも夕刊は消滅している。記者たちの今は社内失業状態寸前であり、共同通信加盟49社のうちすでに25社は朝刊のみとなり、配信契約は30%減だというから大変だ。出版、イベント、事業提携とあらゆるメディアへの進出を図っているが、新聞記者の尻尾をひきずっているとなかなか興行師にはなれない。営業や広告というのは、地をはいつくばってやる仕事で、まず自己否定をし、記者のプライドを棄てなければいきていけない。新聞残酷物語が始まろうとしている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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