キム・ヨナの魅力

by

in

 キム・ヨナが、女子フィギィアで前人未踏の207.71を叩きだした。「韓国民の妹」といわれ努力の塊といわれている彼女にとって当然の勲章だった。 浅田真央の金を信じて疑わなかったスケート連盟はあわてて、これからはプログラム構成も本人まかせにせず口をだす、ノルマとして200点以上をだすことを義務とすることを宣言した。 おしなべて日本の選手は技術一辺倒で表現面、芸術点が弱い。とくにフリーに於ける構成振付や演技力、曲の解釈において貧困だ。音楽のノリ、スタイル、形式、主題、ムードのとらえ方が情けない。
 スポーツに限らずクラシックの世界でも、欧米の音楽コンクールにおいて日本人の評判は最悪だ。小手先だけで演奏し、音楽の主題や本質に関わりのない演奏態度が気に食わないということだ。ほおっておけばヨーロッパの文化が破壊されるという意識なのだ。コマーシャルにかまけて選手権会場にきたのが前日という餓鬼のようなアスリートでは負けて当然だろう。キム・ヨナのもっている真摯な透明感をすこし見習ったらいい。精神の堕落はスポーツには禁物なのだ。
 


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ