「初恋のきた道」以来、ずっとチャン・ツィイーのファンだ。 恋のためにひたすら走った、走ることが愛の言葉になっていた。走って走って転んで泣いて、少女の恋心を見事に表現した。日本の女優が半世紀まえに失ってしまった「純粋」「誠実」「無欲」「ひたむき」を黒のタイツとソフトなグレーのトップスにつつんで今朝のブラウン管に登場した。無駄のないスリムな身体にキリッとした華やかさと色気と明るさが充実していた。
鬼才鈴木清順監督が、アップの撮れる女優だと評していたが、「私は普通の女の子」という横顔にひかえめな品位がキラリと輝いていた。幼いころから、バレエを学び、演劇を勉強してきた彼女は、学ぶ気持ちさえあれば越えられない難しさない、という。アクションも、唄も、日本語も、英語も、京劇も、毎回新しいチャレンジをこなし、中国の女優から見事ハリウッドの女優になった。カリブの海での大胆なプライベートをパパラッチに暴露されても、中国の人々が暖かく許したのは、ひとえに人柄のせいかもしれない。「明日は今日より好い」彼女の座右の銘である。
チャン・ツィイーに惚れる
コメント
1件のフィードバック
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本当に、美しくチャーミングな、同姓の私共から見ても惹かれる女優です。鈴木清順監督の「アップに耐える数少ない女優」の表現は印象的でした。NHKは時々、あのコーナーでびっくりするような大物俳優や作家、文化人をさりげなく登場させますね。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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